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善光寺街道「刈谷原峠(かりやはらとうげ)」について

 善光寺街道は岡田の宿場(岡田町)を通り番所を経て、伊深の一里塚を通り、伊深城の外塁であった外輪地域を過ぎ、更に問屋原(とんやばら)集落を抜けて、山の神と云う所から刈谷原峠の登り口になる。右が刈谷原峠、左が馬飼峠に別れる。

○秋葉神社

 刈谷原峠登り口の左近くに、秋葉神社の前宮がある。奥殿は山の頂上にあり、この神様は火の神で、村の安泰を護っている。信心深い昔の人は、道中の無病息災を祈願したと思われる。

○鎧塚(よろいづか)

 登り口から200メートル位登った所に「鎧塚」と云う所がある。その昔、武田信玄が信濃進攻の折、犠牲になった武士の遺骸を一括葬った所ではないかと言うので、昭和の始めに青年会員がその真実確認の為、それらしい箇所を2メートル位の深さで広い範囲掘り起こしたが、「鎧塚」を立証するものが出てこなかったのは残念である。一説には武田勝頼の首を家来が埋没したが、後難をおそれて供養塔は建てなかったとも言われている。

○清水窪(きよみずくぼ)

 「鎧塚」から400メートル位登った所に茶屋があり、そこで休憩をとり、50メートル位上の所に清水の湧く所があり、その水溜りで牛馬も人も渇きを癒して登って行ったものと思う。茶屋の西側に南無阿弥陀仏の碑があり、安全祈願したようである。この清水の沸く所を「清水窪」と名称がある。

○商人石(あきんどいし)

 峠も半ばになって来て坂道に掛かる所に「商人石」と言う所がある。ここは12畳程の小石の広場がある。昔、商人がここで殺され、その怨霊が石に残り、相場が上がる時は、石が道から上に登り、下る時は、道近くまで下がっていた。幼い頃2回程確める為に見に行った。本当にそうであって感心したものである。小石には角が無く比較的丸型で小石群の周囲の石は苔むしているのに、中側の小石群は新しい石のようであった。昔は薪木採りが盛んで、山は掃いたようになっていて、幼い者でも歩き易かった。小学5,6年の100名位の生徒が頂上目指してウサギ追いし、頂上では狩人がウサギを討ち取った事が幾年も続いた。

○馬頭観音碑「仇坂(あださか)」

 「商人石」の所から少し登った所に馬頭観音碑が50体程並んだ所がある。刈谷原峠は急勾配の所が多く、従って牛馬の犠牲も多かったようである。この場所を「仇坂」とも呼ばれている。

○頂上にも井戸と茶屋

 頂上には高所にも拘わらず水が出たようで、井戸跡も2、3ヶ所あるし、茶屋も4~5軒あった模様である。

大久保知重  93 歳

 

 

右 刈谷原峠

左 馬飼峠の標識

 

清水窪

 

 

清水窪

周りにはイノシイを防ぐ柵がある

途中にある石仏

 

馬頭観音

 

 

馬頭観音をすぎて

 

馬頭観音をすぎて

 

峠はすぐ

 

峠の頂上

上に行くに道は、稲倉峠へ

頂上から下へ降りて行くと

木の間から常念岳が見える

 

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